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尾花前監督が初めて明かす“横浜の実像” ★後編

  • 2012/01/26(木) 23:01:04

「敗軍の将、兵を語らず」の格言通り、志半ばでの解任後は発言を控えてきた横浜(現横浜DeNA)の尾花高夫前監督(54)。初めて沈黙を破った前回は、選手に染みついたBクラス体質について語ってくれた。今週は暗黒時代をもたらすにいたった、球団フロントの構造的な問題点を指摘してもらう。(構成・笹森倫)

 --昨年後半からチームは軌道に乗り始め、今年は上位進出も狙えると思ったのでは

 「でも戦力はそこそこ補強してくれないと。『こういう補強をしてくれ』と頼んで、『金がない』と返されたら、もう何も言われへん。身売り前提だから金を使いたくなかったんでしょ。身売りのための2年間だったというなら残念だね」

 --戦力は絶対的に不足していた

 「球団の心臓部は編成。その心臓が動かなかったらチームに血が通わないよね。まずドラフトで獲った選手を主力に育てて、チーム力を上げるのが本来あるべき姿。特に上位指名は絶対に戦力にしないと。加地(隆雄球団)社長に過去10年の指名リストを見せて説明もしたけど、1位や逆指名で入った選手が17人いて、主力に育ったのが3人しかいない。スカウトは『育ててくれない』、コーチは『なんでこんなの獲ったの』とお互いに言い分はあるだろうけど、それを引き受けたのはオレたちだから」

 --結果として選手起用で悩まされることに

 「同じような選手ばかり、なんで重なってんねん。なんで左打ちばっかりやねん、右はどうした? 逆に投手は左が少ない。外野手が多く内野手は足らない。捕手は若手ばかりでベテランが少ない。偏った編成のツケだよね。投手に問題があるとわかっているのに、獲ってきた外国人は機能しない。トレードでも、オレが好感触を得てから頼んだのに『ダメだった』と。相手の球団に確認すると『おまえのところが“見返りがない”って言ってるからだよ』とか」

 --選手獲得に関与できなかった?

 「去年は編成会議に1度も出ていない。現場が入らない球団なんてほかにないで。『いつやるの?』と聞いても何も返ってこない。ドラフトで誰を獲るかさえ知らなかった」

 --環境面でも問題を感じていた

 「雨天練習場も、ウエートトレーニング室も、スコアラー室もプロのレベルにない。弱いチームほど練習が必要なのに。キャンプも含めて、雨が降ったらきちんと練習できないんじゃ引き離されるだけ。横浜スタジアムの室内練習場は、打つスペースが2カ所だけで守備練習は無理。キャンプ地(沖縄・宜野湾)の室内も全体練習ができない。スコアラー室だけは1年目の終わりに整備したけど、あとは新しい親会社に期待だね」

 --けが人も多かった

 「特に主力にね。100%の戦力でどうかというチームが、主力を欠いたら勝つのは難しい。トレーナーには常々、『悪いことほど真っ先に知らせて』と言ってきたのに事後報告が多かった。ひどいのは『手術させてもいいか』の相談もなく、『手術しました』と。これには参った。こういうシステムの問題を延ばし延ばしにしてきたのも、長期低迷の原因だろう」

 --コーチ人事も思い通りにはいかなかった

 「3年(契約)なら3年、きちんとこっちが言った人事でやりたかった思いはある。たとえば2年目の打撃コーチは、オレの意思に関係ないフロント主導の人事。1年目にチーム打率が前年から2分近く上がったのに、何の説明もなく杉村と波留敏夫の2人とも替えるんだから、『え? なんでですか』となるよ。ちょこちょこ手を入れられるのはね…。すべてが中途半端。任せるなら任せてほしかった。そうしたら全員で責任を取れた」

 --昨季の打線は前半は好調だったが、途中から点が取れなくなった

 「1年目に教えてくれたことが浸透してきて、秋と春のキャンプ、オープン戦もいい流れでやれた。ただシーズンに入って、ちょっとうまくいかなくなったとき『大丈夫や。今までやってきたことをやっていこう』という後押しがほしかった。流れが止まったときにもう1度流れに乗せるのは、1年目からの流れを知らないコーチには難しい。同じような言葉でも、本質が違えば選手は『いつから変わったの?』と戸惑うからね」

 --勝負に集中してもらいたかったが、支えられず申し訳ない

 「雑用が多かったな。でもいい経験。ずっと日本一の投手コーチになろうと思ってやってきたけど、監督になってコーチ時代には考えもよらないことを考えられた。監督は“トンボの目”にならなアカン。(チームの)全部を考えるのはなかなか広い」

 --また監督を?

 「縁があればね。育てるということに関しては、いい感じになっていると思うよ。勝てるチームをつくって次にバトンタッチせえと言われたら、やれる自信はある」

 ■すぎむら・しげる 1957年7月31日、高知市生まれ。高知高時代は小柄なスラッガーとして「土佐の怪童」の異名を取り、高校3年時の1975年春の甲子園決勝では、原辰徳を擁する東海大相模高を自らの決勝打で破り優勝。同年ドラフトでヤクルトに1位指名され入団。87年限りで現役引退後は長く球団広報を務めた。00-07年はヤクルト、08-11年は横浜で打撃コーチなどを担当し青木宣親、内川聖一らを指導。水島新司氏の野球漫画「ドカベン」に登場する微笑三太郎のモデル。今年から本紙評論家を務める。

 ■おばな・たかお 1957年8月7日、和歌山県生まれ。PL学園高、新日鉄堺を経て、1977年ドラフト4位でヤクルト入団。2ケタ勝利を6度記録するなどエースとして活躍し、91年現役引退後はテレビ、ラジオで野球解説者を務めた。指導者としては95-96年ロッテ、97-98年ヤクルト、99-05年ダイエーおよびソフトバンク、06-09年巨人で投手コーチなどを歴任。計7度のリーグ優勝に貢献した。10年から3年契約で横浜監督に就任したが、2年連続最下位で昨年11月解任。17年ぶりに現場を離れる今年は投球理論の研究などに没頭する予定。

2012.1.26 ZAKZAK

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